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中禅寺が気づいたのは、広過ぎるほどに広い、今まで見たこともないような寝台の上だった。半身を起こし、周囲を見回す。もう陽は高く上がりきっているようで、遮光のカアテンの隙間から明るい光が室内に漏れてきている。ここはどこだ、と思いながら中禅寺は寝台から降りようとして、左足首の痛みに思わず顔を顰めた。途端に昨夜の記憶が鮮明にその脳裏に甦り、中禅寺は痛みを堪えながら寝台を降りると入口へと向かって歩き出そうとする。
「…っ」激痛が走り、中禅寺は思わずその場に倒れ込んだ。折れてはいないと思っていたが、案外骨折しているのかもしれない。榎木津は、そして連れ去られた関口は、一体どうなったというのだろうか。
と、そのときがちゃりと扉が開き、逆光の中長身のシルエットが蹲る彼の目の前に現れた。
「大丈夫か?」
駆け寄るようにして中禅寺に近づいてきたのは、長身の青年―――自分より五つ六つ年上ではないだろうか―――である。何処か懐かしいような感じのするその青年の整った顔立ちを見上げながら、中禅寺は無言で小さく頷いた。
「無理はよくない。その腫れ方からいって骨が折れてるね。大丈夫かい?」涼しげな目元、すっと高く通った鼻筋、品のよい、きりりと引き締まった口唇
あ、と思わず中禅寺は小さく声を漏らした。と、その青年は中禅寺に向かってにっこりと微笑むと
「榎木津総一郎です。宜しく」と片手を差し伸べてきた。
「?」何、というように見返すと、
「掴まりなさい」とスマアトな仕草で中禅寺の腰へと手を廻すと、思わず伸ばした中禅寺の手を取ってゆっくりと立ち上がらせ、そのまま寝台へと戻させる。
やはり―――痛みを堪えて歩きながら中禅寺はこっそりと傍らの美丈夫の顔を見上げた。
彼は榎木津の兄だろう。ということは、ここは榎木津の実家、ということなのだろうか。
そんな彼の様子が如何にも不安そうに見えたからだろうか、
「心配しなくてもいい。ゆっくり休んでいなさい」と総一郎は中禅寺に微笑みかけると、踵を返して部屋を出ようとした。
「あの…」思わずその背中に中禅寺は声をかける。そして伸ばしたその手にまとっているのは紫色のセーターであるということに改めて気付き、中禅寺はあわてて己の頭に手をやった。さらりとした髪が肩まである、ということは今、自分の姿は―――
総一郎はゆっくりと振り返り、何ですか?というように小首を傾げて微笑んだ。
「え、榎さんは……」思わず小声でそう尋ねると、総一郎は困ったように笑って
「今朝電話があった。あなたが無事にこの家にいるということがわかってたいそう安心していたよ。そのまま何処に居るとも言わずに電話を切ってしまったらしいが……。でも大丈夫。何も心配しないでゆっくり休んでいなさい」といたわりに満ちた眼差しを投げかけ、それじゃあ、と部屋を出て行ってしまった。
中禅寺は慌てて周囲を見回し、寝台の脇に置いてあったテエブルの上に手鏡が置かれているのに気付いて恐る恐るそれを手にとる。
鏡に顔を映してみて―――またもやぎょっとして思わずすぐに鏡を伏せたが、もういちど怖いもの見たさでおずおずと自分の顔を映してみる。
そこには―――どぎつい化粧の女がやはりいた。
さすがはプロ、1日経っても少しも施された化粧は崩れていない。鬘の乱れを一応手で整えている自分に気付き、中禅寺は誰に見られたわけでもないのに軽く咳払いしてまた鏡を伏せた。
一体―――榎木津は自分を何と家族に説明したのだろう。なんといっても二人が保護されたのは、場末の連れ込み宿なのだ。女としてなのか、はたまた学校の後輩として、なのか―――どちらにしても、この「事実」だけ考えると、榎木津の名誉を著しく傷つけることになりそうな気がする。
男色の趣味を疑われるか、学校に知れれば放校になるであろう素行の悪さを疑われるか―――後者の方がまだいいような気がするのは気のせいだろうか―――いや、その相手がこの容姿の女だとどっちもどっちか、などとくだらぬことを考えながら、中禅寺が大きく溜息をついたそのとき、
コン、コン、と重々しいノックの音が響いたかと思うと、ゆっくりと扉が開かれた。そこに佇んでいたのは、深く頭を下げた女中で、中禅寺は、唖然として前時代的な彼女の様子をみつめていた。
それこそ洋画に出てくる「メイド」スタイルをしたその女中は、恭しい様子で頭を上げると、
「御前のお呼びでございます」と高い声で申し渡すようにそう言うと、また深深と頭を下げたのだった。
「ご、御前?」思わずそう繰り返すと
「左様でございます。総一郎様より車椅子を、とのことでしたので、ご用意して参りました。ささ、参りましょう」後ろから3人ものメイドが車椅子を手にわらわらと部屋へと入って来、唖然としている中禅寺に手を差し伸べるとあっという間にその上に座らせてしまった。
「よろしゅうございますか?」
なにがよろしいのかわからないながらも、中禅寺が無言で頷くと、彼女達は互いに目を合わせ、やはり恭しい動作のままに中禅寺を乗せた車椅子を押し始めたのだった。
長い長い廊下を抜け―――調度の一つ一つが重厚でまた素晴らしいのである――中禅寺が連れていかれた先は、それこそ『応接間』と呼ぶに相応しい二十畳程の洋室だった。
こちらで暫くお待ちくださいませ、と部屋の真中のソファの傍らに車椅子を止められ、彼女達はまた深深と一礼して部屋を去っていってしまった。中禅寺はそれこそ口を開けたまま、「豪華」としか言いようのない室内を見回す。一流ホテルの貴賓室でもこれほど金と手間はかけていないだろうという装飾の数々に、やはり榎木津は華族の息子だったか、と彼の容姿を思い浮かべたそのとき、徐に扉が観音開きのようにして内側に開いた。
その音にぎょっとして振り返ると、その場に立っていた品のよい、それでいて風格のある褐色の肌をした中年男性と、先ほど部屋を訪れてきた榎木津総一郎であった。
と、いうことは――と中禅寺は自分をまじまじと眺めていたその中年男性をやはりまじまじと見返していた。
彼が―――榎木津子爵―――榎木津の父親だというのだろうか
「疲れているところ、すまないね。父がどうしてもあなたに会いたいというものでね」
沈黙を破ったのは総一郎の声だった。にこにこと笑いながら父親を促すようにして室内に入ってくると
「父です」と紹介の労をとってくれる。そこで中禅寺は自分の名を名乗っていないことに改めて気づき
「中禅寺です」と答えながら、しまった、と息を呑みそうになった。本名を名乗るつもりなどなかったというのに、いつまでも自分をみつめる子爵の視線の鋭さに、今の己の姿を不覚にも瞬時忘れてしまったのである。
「珍しい名だな」子爵は笑いもせずにそう言うと、尚も中禅寺の顔をみつめ続けた。決して「じろじろ」という形容詞がつかない感じがするのは、やはり育ちのよさからだろうか、などと関係ないことを考えながら、中禅寺はその視線に耐え切れずに思わず俯く。
「カフェの女給をしているとか?」子爵がそう言いながら、また一歩中禅寺の方へと近づいてきた。
「え?」思わず顔を上げた中禅寺だったが、また子爵と眼があってしまったことが気まずくてすぐに俯き、いつのまにそんな話になったのだろうと首を傾げつつ、
「はい…」と小さく答える。
「……で?礼二郎とは長いのか?」子爵は尚も中禅寺の顔をみつめながらそう尋ねてきた。目を伏せながらも痛いほどに感じるその視線に、嘘をついているという後ろめたさから少し竦みながらも、中禅寺は
「いえ…一年ほどかと…」と正直な年数を答えた。去年一高に入学してからの付き合いであるからこれは嘘ではない。
「一年か…長いな」子爵はそういうと、初めて中禅寺から目を逸らし、なあ、というように総一郎の方を見たようだった。総一郎も、そうですね、と小さく頷きながら、今度は二人して中禅寺の方へとその視線を戻す。
「……で?」
子爵は暫し何かを考えたあと、一言そう尋ねた。
「……で?」何が『で?』なんだろう。このタメは一体何なのか、と中禅寺は少し顔を上げ、少しでも見やすい総一郎の方をちらと見やる。
「礼二郎とは将来を誓い合ったとでも言うのかね?」
子爵の口からその言葉が発せられたとき、思わず中禅寺は顔を上げ
「とんでもないっ!なんであんなけったいな男と…っ」と大声をあげてしまっていた。しまった、というときには時既に遅し、痛いほどの沈黙が三人の間に流れる。
「わっはっはっはっはっ」
行き成り豪快な笑い声が子爵の口から飛び出してき、中禅寺は唖然として文字通り「腹を抱えて笑って」いる子爵の姿をみつめた。総一郎も驚いたようにそんな父の姿を見ている。
「これは愉快。あっはっは」子爵はいつまでも笑っていたが、漸く落ち着いてくると、ずかずかと中禅寺のすぐ前まで歩み寄って来、その肩へと手を置くと
「気に入った!礼二郎の偏屈ぶりを見抜いているあたり、なかなか見込みがあるぞっ」とバンバンと痛いほどに肩を叩いてまた豪快に笑い始めたのだった。
子爵の笑いが落ち着いたのを見計らったかのように、茶が運ばれてきた。子爵は上機嫌で、中禅寺にむかって「まあ飲みなさい」と自らサーブまでしてくれた。
「警察から連絡があったそうだが、処置は全て総一郎に任せてしまった。一体何があったかと礼二郎と問い詰めようとしたら、あいつはちっとも家に寄り付こうとしないし、あんたを連れて帰って来た安和に聞いても、さっぱり要領を得ない。だいたい奴は怪我したあんたを一人残して一体何をやっているのか、それを聞こうと思ったのだよ」
茶を飲みながら子爵はそう言って、話の先を促すように中禅寺の顔を見た。中禅寺はどうしたらいいものか、と暫し悩んで口を閉ざす。全てを打ち明けるべきか、否、それであればきっと榎木津が直接告げていたはずだろう。それをせずに姿をくらましたとすれば、いえぬ理由があったに違いないのである。困った、と中禅寺が手の中の茶を一口啜り、何か適当な言い訳をしようと口を開きかけたそのとき
「お父さん、そんなことはもういいじゃあありませんか。こうして礼二郎の恋人の顔も見れたことだし、そろそろ失礼しましょう」
なんと総一郎が助け舟を出してくれたのである。
「いいことがあるか」憮然とする子爵ではあったが、総一郎が
「彼女も怪我をしているんですから…休ませてあげましょう」と続けると、そうだな、と思い直したようで
「すぐに医者を呼ぶから、暫く休んでいなさい」と言うと、それじゃあ、と立ち上がろうとした。中禅寺はほっとしながら
「恐れ入ります」と深深と頭を下げてそんな彼を見送った。共に部屋を出ようとした総一郎が一瞬振り返り、中禅寺に意味深な微笑みを投げかけたのを疑問に思いながらも、助かった、と中禅寺は大きく息をつき、手の中にあった茶を一気に飲み干したのだった。
医者はすぐに来た。多分お抱えなのだろう、中禅寺の足首を診察したあと、骨折はしていないがヒビは入っているかもしれない。くれぐれも安静に、と言って足首をグルグルに固定して帰っていった。当分は車椅子でと言われたが、一体いつまで自分はここにいればいいのかと天井を見上げて溜息をつく。
顔が洗いたいな、と流石にべっとりとしてきた頬に手をやりながら、中禅寺はまたひとつ溜息をついた。榎木津は一体何処で何をしているのだろう―――多分関口の行方を追っているのだろうが―――と、そのときまた扉をノックする音が響き渡った。
「はい」思わず素で答えてしまい、慌てて口を手で塞ぐ。
「失礼致します」入って来たのは3人の女中達であった。なに?というように彼女達をかわるがわるにみつめる中禅寺に、
「お召し変えのお時間でございます」とまた三人は恭しく頭を下げ、ささ、中禅寺の回りに集まってきた。
「ま…まってください」あわてて中禅寺は身体を引くと
「自分でやりますから…」と彼女達の手を避けようとする。
「ご遠慮なさらず」
「さようでございますとも、お怪我をなさっているのですから」
「ささ、どうぞお任せになって」
三方向から伸びてくる手を振り切りながら、もう絶対絶命、と思わず中禅寺が眼を閉じたそのとき
「失礼するよ」
入口の方から凛とした声が響いてきた。
もしや、と顔を上げた中禅寺の目に飛び込んできたのは、やはりあの男―――
「総一郎様…」女中たちは時代錯誤にささ、と後ろへと退くと、また深深と彼に向かって礼をしてみせた。
「ちょっと彼女と話したい。席をはずしてくれ」言いながら、ああ、着替えは置いていってくれていい、と声をかけると、三人の女中は意味深に目を合わせ、
「お任せいたします」と深深とまた頭を下げて漸く出て行ってくれたのだった。
「…………」中禅寺の口から思わず大きな溜息が漏れる。が、大股で近づいてきた総一郎にその手を取られると、一難さってまた一難であった、と一気に緊張した視線を彼へと投げかけた。
「……お召し変えの時間だ」
笑いを含んだ声。優しげに細めらた瞳―――思えば今までのピンチを全て救ってくれたのは彼であったのだが、一体何を思っての行為だったのか―――
「………なっ」行き成り総一郎は中禅寺の着ていたセーターを捲り上げようとしてきた。中禅寺は慌てて激しく抗ったが、片足を固定されている彼の抵抗を封じることなど、その見事な体躯をもってすればあまりに易々しいことのようで、中禅寺が思わずそのまま寝台へと倒れ込んで彼の手を避けようとするその身体を追いかけるようにして覆い被さってくると、尚も彼はセーターの中へと手を差し入れようとしてきた。
「やめてくださいっ」抵抗しながらも作り声を出している自分がなんだか哀れだと思いつつ、中禅寺は必死で彼の手から逃れようとその身体を捩る。
「あんまり動くと疵に触るじゃないか」心配そうな声を出しているが、一体それじゃあ今自分のやってることはどう説明するんだ、と中禅寺が彼を睨み上げようとしたそのとき、己の身体に覆い被さっていた彼の身体が細かく震え始めた。
「……?」唖然として中禅寺は言葉を失い身を固くして次の彼の動きを待つ。
「すまんすまん、冗談だ…」あはは、と声をあげながら笑うと
「いや、ついつい君の怯えた顔を見てるうちに調子にのってきてしまって…」と総一郎は身体を起こすと、まだ信用できないような顔で自分を見上げている中禅寺に
「大丈夫。僕には男の子を抱く趣味はない」とウィンクして笑った。
「……え?」バレていたとは、と中禅寺はその瞬間酷い脱力感を覚え、へなへなとそのまま寝台へと倒れ込む。
「安心したまえ。家の中で気付いているのは僕だけだ」総一郎はそう笑うと、中禅寺の手をとって寝台の上に座らせた。
「………」中禅寺は無言でそんな彼の優しげな顔を見上げる。
「で?一体何があったんだ?」総一郎はそう尋ねながら、その前に顔を洗うかい?と中禅寺の背に腕を廻すと、部屋に備え付けてある洗面台の方へと彼を抱き上げ運んでくれたのだった。
洗面台の水道からはなんと湯が出た。なんという贅沢、と中禅寺は心の中で舌を巻きつつ久し振りに思い切り顔を洗う。
「はい」総一郎が後ろからタオルを差し出してくれたのを頭を下げたまま受け取ると、肌触りのよいそれで思い切り顔を擦った。ああ、さっぱりしたと思いながらふと顔を上げて鏡を見ると、見慣れたいつもの自分の顔とかぶったままになっていた鬘が余りにもミスマッチなことに気付いて慌ててそれを取ろうとした。が、ピンでしっかり固定されてしまっているために思うように外れない。
「貸してご覧」不意に後ろから手が伸びてきて、中禅寺の髪―――ではなく鬘だが―――に触れた。思わず振り返ると驚くほど近い処に総一郎の端正な顔があり、中禅寺はわけもなくどきりとしながら上目で彼を見上げる。
「こんなにピンを刺していたんだね。少しも動かないわけだ」総一郎はくすりと笑いながら、そのピンを一本一本丁寧な手つきで抜いてくれた。男にしては繊細で長い指が中禅寺の髪を弄る。そういえば榎木津の指も細く長かったな、と中禅寺は何となく思い出しながら、節目がちに自分の頭を見下ろしている総一郎の顔をちらと見上げると、その視線に気付いて彼も中禅寺を見返し
「ほら、とれた」と鬘を外してくれるとにっこりと笑った。
「どうも……」あまりにも近距離でいることに居心地の悪さを覚えながら、中禅寺はそう頭を下げると、もう一度鏡の方を振り返って自分の顔を見る。
そこにいつもの自分が映っていることにほっとしたように息をつくと、後ろに立っていた総一郎が鏡越しにそれをみてまたにっこりと微笑んだ。
「今、着替えをもってくる。誰も入らぬように言っておくから大丈夫だ」
そう言って部屋を出て行く総一郎の後姿を眺めながら、中禅寺は彼に何処までを話すべきかを考えていた。全て正直に話し、警察すらも押さえ込むというこの『榎木津家』の力を借りるべきであるのか―――それを相談するべき榎木津は今、何処でどうしているのだろう。関口の行方は知れたのだろうか。こうしてただぼんやりと安全圏にいるしかない自分がどうにももどかしい。
頼む―――二人とも無事でいてくれ。
中禅寺は固く目を閉じ、心の中でそう念じた。瞼の裏に、やたらと清々しく笑う榎木津の顔と、だらりと下がった関口の白い腕がかわるがわる浮かんで、消えていった。
総一郎はすぐに戻ってきた。手にしていたのは白いシャツと見覚えのあるスラックス――いつも着ている一高の制服だ、と気付いて中禅寺は思わず彼の顔を見上げる。
「君の身体に合う服が他に思い当たらなかった。昔僕が着ていたものだが…それでもまだ君に大きいかもしれないね」
そう笑いながら、総一郎は
「着替える間、出て行ったほうがいいかな」とわざと真面目な顔でそう尋ねてきた。
「……結構です」思わず榎木津に対するようにぶすりとそう答えながら、中禅寺は徐に紫色のセーターを脱ぎ捨てたが、女物の下着を着けていることに気付いて、思わず羞恥に顔を赤らめた。間抜けな姿を晒していることを恥じ、ちらと総一郎の方を見やると、流石といおうかなんといおうか、彼は少しも見ていないふりをしながら中禅寺に背を向け、室内をうろうろとしはじめる。そんな風に気を使われたことで益々中禅寺の羞恥心は高まったが、それを気取られぬように手早く全てを脱ぎ切ると総一郎から渡された白いシャツを羽織ったのだった。
寝台に腰掛けながら、中禅寺がなんとか下半身も着替え終えたのを見計らって、総一郎はまた彼の方へと近づいて来ると、彼と並んで寝台に腰を掛けた。
「……で?」
そして中禅寺の顔を覗き込むようにして一言そう尋ねる。
「……」どうしよう、と中禅寺はまたもや頭の中で暫し逡巡し、無言のまま彼の目を真っ直ぐに見返した。色素の薄い榎木津の瞳ほどではないが、日本人にしては茶色がかったその瞳の色と、澄み切って青白い程のその白目の美しさはやはり榎木津を思い起こさせ、中禅寺は思わず全てを包み隠さず話してしまいたい衝動に駆られる。
中禅寺の躊躇いを察してか、総一郎はその美しい瞳を細めて微笑むと
「心配することはない。礼二郎と君が何をしようとしているのか――何故、それに警察が介入してきたのか、君があんなナリをして連れ込み宿へ榎木津と二人訪れなければいけなかったか、全て話して欲しい。警察の方は押さえ込んだから大丈夫だ。学校に知れることはない……が、これ以上騒ぎが大きくなると今度は父が動いてしまう。それが一番タチが悪いんだ。父に何もさせないためにも、どうか僕を信じて何もかも話してくれ」
と真摯な調子で、噛んで含めるように中禅寺の手を取った。
「……あの……」その真剣な表情と、話していることの内容のギャップに中禅寺は気づき思わず言葉を挟む。何?というように小首を傾げた総一郎に
「父上は……榎木津子爵に何もさせないように…っていうのは……」
自分の父親をして――しかも元華族のあの恰幅のいい彼をして、酷い物言いだとあきれて中禅寺がそう言うのを
「君は父の凄さを知らない―――いや、「凄い」というのはちょっと違うな。別に権力があるわけでもなんでもないんだが、とにかく彼は……」と総一郎はまるで真剣な表情をして中禅寺の眼を覗き込むと
「強烈なんだ」と言って溜息をついた。
「強烈…?」わけがわからずそうおうむがえすと、総一郎は益々憂鬱そうな表情になりながら、
「ああ。彼が暴れ出したらそれこそ東京が壊滅するくらいの大騒ぎになるだろう。折角警察も押さえ込んで学校にも知られぬように穏便にことを済まそうとしてきた今までの苦労が全て無駄になる。その為にも…」と総一郎は、取っていた中禅寺の手を更に握り締め、
「頼む。話してくれ。一体君たちは何をしようとしているんだ?」と真剣な表情で中禅寺を見つめた。
「……」中禅寺は半ばあきれながら呆然とそんな彼の顔を見返していた。榎木津の破天荒ぶりを知るだけに、兄がその父を評したその言葉は強(あなが)ち嘘ではあるまい。折角こうして学校に知れることなく彼が――総一郎が事を丸く納めてくれているところを引っかきまわされるのは確かに困る。
何より―――関口どころか、彼を追った榎木津の行方すら知れない今、情けなくも負傷して動けぬ自分に為し得ることの限界は言われないでもわかっている。
彼らの身の安全を一時も早く確保する為には、この申し出に縋るより他に得策はないように思われる。
中禅寺はそう決意を固めると、改めて傍らに座る総一郎の顔を見た。総一郎は彼が口を開くのを無言のまま辛抱強く待っているようである。中禅寺は頭の中でざっと今までの経緯を整理すると、一瞬口唇を引き締めるようにしたあと、徐に口を開いた。
「ことのはじまりは、昨日の早朝の一高の生徒の飛び降り自殺からなんです」
意外な話の始まりに、総一郎は僅かに眉をひそめたが、話の腰を折らぬようにという配慮からか無言のまま淘々と語りつづける中禅寺の声に耳を傾けてくれていた。話しながら中禅寺はまだ彼が自分の手を捕らえたままであったということに気付いたが、敢えて手を引くことも何故だか躊躇われそのまま話を続けた。話が進むにつれ、次第に総一郎の目つきが厳しくなっていき、ある一点を凝視したまま頷くことすらしなくなってくるその様子を不審に思いながらも中禅寺が漸く全てを話し終えると、総一郎は彼の手を握ったままになっていたことに初めて気付いたかのように
「すまない」と囁いてから手を離し、寝台から立ち上がるとやはり厳しい顔つきのまま室内を歩き回りはじめた。
「いえ……」
一応そう返しながら中禅寺は眉を顰めそんな彼の姿を見つめていた。あきらかに彼は動揺しているのだが、それが何に起因するものかわからない。自ら話した昨日の出来事を頭の中で反芻しながら、中禅寺がその原因へと思いを巡らせていると、総一郎は徐にその脚を止め
「行こう」
と中禅寺の方を振り返った。
「え?」何処へ、と中禅寺が問い返そうとするのと
「その脚では無理かな」と総一郎が苦笑したのが同時で、中禅寺は思わず
「行きます」と答えながら、彼が伸ばしてくれた手に掴まると寝台から立ち上がったのだった。