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前を歩く執事のあとを追いかけるようにして、総一郎と中禅寺は脚を早める。中禅寺が脚の痛みに顔を顰めたのを横目で見て察すると、何も言わずに総一郎はそんな彼を抱き上げ、駆けるようにして執事が締めようとした扉に片方の靴の先を挟んだ。
「な、何をなさいます」動揺する執事の顔に、最早無表情の仮面はない。
「このまま僕らを彼の処へ連れて行け。下手な小細工をしようと思うな」低く押し殺したような声で総一郎がそう執事をねめつけると、執事はおどおどしながら漸くその扉を内側へと大きく開いた。
「…わかればいいんだ」
総一郎が口唇の端をあげただけの微笑を浮かべて部屋に入ろうとしたそのとき、丁度室内の正面、向かい合う扉が静かに開いた。
「ま、優様…」執事が悲痛とも思えるような声を上げる。
「騒々しい……何事だ」開かれた扉の間から、長身の男がその半身だけを現し、室内を――丁度正面に佇んでいた総一郎と、その腕に抱かれた中禅寺の姿を見た。
『美しい悪魔――』
今まで後姿しか見たことのなかったこの男の顔を初めて目の当たりにした中禅寺の頭に、松藤の遺書のあの一節が甦った。
恐ろしいほどに整ったその容貌―――榎木津も、そして兄の総一郎も、その容姿は著しく整っていると思うのだが、目の前のこの男の美貌はなんと言うか、彼らのそれとは全く異質のもののように中禅寺の眼には映った。
まさに――この世のものとは思えない―――その白い肌の下、自分と同じ赤い血液が流れていることが到底信じられないような、整いすぎたその容貌――
自分を抱く総一郎の手に、無意識に力が篭ったのを肌で感じながら、中禅寺はそんな彼の顔をちらと見上げた。
「ご無沙汰しています」低い声で彼は正面に立つ、美貌の主に向かってそう告げる。
「……使いをやる手間が省けたな」
それには応えず、男は執事に向かってそう冷たく笑うと、
「客間へ。私もすぐに向かう」と言い捨て、皆がいちように言葉を失っているその間にくるりと踵を返すと部屋の扉の向こうへと消えた。
「待てっ」総一郎は思わずその後を追おうとしたが、必死の形相の執事がそんな彼の前へと立ち塞がり、彼の行く手を阻むと
「ご案内申し上げます」といつもの無表情の仮面を取り戻し、彼らを『客間』へと導くべく慇懃な様子で右手を上げたのだった。
長い廊下を抜け、一際大きな扉の前に立つと、執事は総一郎と中禅寺を振り返り
「こちらでございます」とまた深深と頭を下げた。そしてまたドアへと向き直り、がちゃり、と静かに扉を開くと動作に恭しさを滲ませながら
「どうぞ」と中へと二人を導き入れる。
広い部屋だった。榎木津の実家の客間も立派なものだったが、この部屋も負けぬとも劣らぬほどの、まさしく「荘厳」といった雰囲気で、選び抜かれた調度品の見事さと、それが華美になりすぎないよう品良く並べられるその配列に、室内をぐるりと見回しながら中禅寺は心の中で、これが真の金持ちというものかと珍しくも舌を巻いた。が、部屋の中央にある革張りのソファが僅かに曲がっており、その廻りの絨毯の毛並みが乱雑に踏み荒らされているような跡を認めると、その違和感に首を傾げ、自分をまだ抱き上げてくれていた総一郎の顔を見上げる。
総一郎もそれに気付いたようで、中禅寺の視線を受け止めながら
「何かあったらしいな」と小さく囁くと、ゆっくりと彼を床へと下ろし、その背を支えながら立たせてくれた。
「少々お待ち下さいませ」入口で執事は再びそう深深と頭を下げると、後ずさるようにしてしずしずとドアを閉めたのだった。
「誰なんです?あれは……」
二人になると、中禅寺は傍らの総一郎を見上げてそう尋ねた。思い出すだに背筋に冷たいものが走る、壮絶なまでの美貌の青年―――
「直哉の―――兄だ」
総一郎は何処か憂いを含んだような顔でそう答えると、座ろうか、と中禅寺の背を促し、長椅子へと脚を進めた。
* * *
がちゃり、と客間のドアが開く音を、暗闇の中榎木津は聞いた。あの男が―――北大路優が帰ってきたのか、と榎木津は耳を澄ます。
「こちらでございます」
執事の声だった。数名の人間の気配を感じる。
誰だ――?
榎木津が尚も耳を済ませたそのとき
「誰なんです?」
聞き覚えの或る声に、思わず声をあげそうになった。中禅寺だ。彼は無事だったのか、と胸を撫で下ろした彼の耳に続いて飛び込んできたのは
「直哉の――彼の兄だ」
兄の――総一郎の声だった。榎木津が思わず立ち上がり、自分と関口がここに閉じ込められていることを知らせようと目の前の扉を両手で叩こうとしたそのとき
がちゃり
再び扉の開く音がしたと同時に
「久し振りだな」
彼の―――優の声が扉の向こうから響いてきた。思わず榎木津の両手が宙に止まる。
そして続いて聞こえてきた
「……お兄さん……」という、苦渋に満ちた兄の―――総一郎の声に、榎木津は扉を叩くのも忘れ、固唾を飲んでこれから繰り広げられるであろうなにごとかを待った。
* * *
「久し振りだな」
先ほどとはうって変わった、愛想のよい微笑をその美しい顔に浮かべながら、彼は――北大路優は部屋の中へと入って来た。
まず総一郎に微笑みかけると右手を出し、椅子に座るようにと促すと、続いて傍らにいた中禅寺へと視線を移す。
微笑みながらもその瞳が少しも笑っていないことにははじめから中禅寺も気付いていた。が、そのあまりの双眸に湛えられた光の冷たさに、我知らず緊張感が高まり気付かれぬように口唇を噛む。優は探るように中禅寺の顔を数秒眺めていたが、やがて納得したように小さく頷いた。そして中禅寺へと向かって何かを言おうとしたそのとき
「……お兄さん」
その彼に向かって、中禅寺の傍で、総一郎が押し殺したような声でそう呼びかけたのだった。
優の視線が総一郎へと戻る。
「もう何年会っていなかったか―――直哉の葬式以来――いや、君は葬式には来なかったな」
座りたまえよ、と眼で示しながら、優は世間話のように総一郎にそう告げたが、その言葉に彼がびくりとその肩を震わせるその様が、近くにいる中禅寺には手にとるように感じられ、思わず非難めいた視線を優へと投げかけていた。
「君は……一高の生徒だね」その視線に気付いて、優は中禅寺へと冷たい微笑を浮かべながらそう話し掛けてきた。
「…ええ」彼のこれからの出方を見ようと中禅寺は尚も彼の顔を見つづけながら低くそう答える。
「昨日―――あの宿にいたのは君だね」
ふふ、と笑いながら、優は二人の方へと近づいて来、中禅寺へとその手を延ばして来た。その手を遮るように総一郎が中禅寺の前に立ち塞がると、優は尚も笑って
「いいから座りたまえよ。話はそれからだ」と二人の顔をかわるがわる眺め、自分が先にそのソファの一つへと腰を下ろして二人にも座るよう眼で促した。
総一郎は中禅寺の背に腕を廻し、庇うようにしながら彼の対面の長椅子へと二人して腰掛ける。と、それを待っていたかのように扉が開き、女中達が茶を捧げるようにして運んでくると、テエブルにそれをセットし、無言のまま足早に部屋を出て行った。
「毒など入っていない。安心してくれたまえ」
言いながら優は己の前に置かれた紅茶のカップを口に運ぶ。が、総一郎も中禅寺も流石にそれに手を出す勇気はなく、ただ無言で満足そうに茶を飲む彼の姿を見つめていた。
「信用がないな」苦笑しながらかちゃり、と音を立ててカップをテエブルへと戻す優に、
「それなりのことをなさっているからでしょう」と総一郎は硬い声で応え、射るような眼で彼を睨んだ。
「……何のことかな」優雅に微笑みながら、優はそんな総一郎を見返し、高くその脚を組かえる。
「弟は何処です」低く押し殺したような総一郎の声。一気にその場の緊張感が高まるのを傍らにいながら中禅寺は感じていた。優の顔から一瞬微笑が消える。
ダンダンダンダン
不意に後ろから、扉を叩く音が響き渡り、総一郎と中禅寺は驚いてその方へと身体を向けた。
「ここだっ!僕はここにいるっ」
榎木津の声だ。中禅寺は思わず
「榎さん、無事かっ」と立ち上がりかけ、脚の痛みに耐えかねてバランスを失いまたソファへと身体を沈めた。
「礼二郎!」そんな中禅寺に、大丈夫か、と一瞬視線を走らせたあと、総一郎も立ち上がると声のした方――小さな納戸の方へと歩み寄ろうとする。と、そのとき
「対面にはまだ早い」
凛とした優の声が室内に響き渡った。何故か総一郎の脚は止まり、ゆっくりとその声の主の方へとその身体を返すのを、中禅寺はただ無言で見上げていた。
「君の大切な弟は無事だ。ついでに言えば、君の弟の友人も無事にあの中にいる」
微笑を浮かべながら、歌うようにそう話し続ける優の顔を、総一郎はその口唇を噛み締めるようにしてじっと見入っている。
「君にとっても……『弟』は大切なようだね」
小首を傾げるようにしながら、優は一段と華やかに総一郎へと微笑みかけた。総一郎の身体がまたびくりと震えるのを、中禅寺は痛々しい思いで見つめた。
「私にとっても―――直哉は宝だったよ」
口調の明るさを裏切るその瞳の冷たさ―――優は声のトーンを上げると、
「君の弟さんにも聞かせてやろう。君が私の弟にしたことを――彼を死に至らしめた、君の酷い所業を話してやろうじゃないか」
と立ち上がり、総一郎を見下ろしてそう笑う。
「なんだと?」
背後で榎木津が息を飲む気配を感じながら、中禅寺は為す術もなく、その頬を紅潮させて微笑み見下ろすかの麗人と、傍らに座る苦渋に満ちた表情の総一郎をかわるがわるに見やり、その口唇を噛んだ。

\へ XIへ