なんちゃって耽美小説そのA


連載『わが一高時代の犯罪』
〜十二月のギムナジウム〜





の言葉は僕には聞こえない

君の嘆きは僕にはわからない

君を抱き締める腕を僕は持たない

それでも

常に僕は君の姿を求めて目を見開き

君の声を聞こうと耳を欹て

君に触れようとこの腕を伸ばそうとし

虚ろな君の瞳に僕が映らぬことに絶望し

こうしてまたこの小高い丘に立つ


愛しき君へ




T




「松藤が自殺したらしいよ」
春休み開け、久々に校門を潜った榎木津の耳に最初に飛び込んで来たのは、取り巻き連中の興奮した叫び声だった。
「自殺?」一人だけ昂揚した空気に乗り遅れ、気だるそうにすら見える様子で榎木津は彼らを見回す。
「今朝、中央線の高架から飛び降りたらしい。隣の線路まで身体が千切れて飛び散って…」
「よせよ、面白半分にそんなこと言うのは」
「面白半分なんかじゃあないよ」
「それにしても、一体何故……」
皆が騒然と榎木津の周囲で口々に騒いでいる中、榎木津はかの『松藤』の顔を思い起こしていた。
同学年であるというのに、殆ど会話らしい会話を交わしたことがなかった彼ではあったが、物影から自分をみつめるその視線には気付かないではなかった。眼が合うと必ず頬を紅らめて目を逸らし、話し掛けようとすると足早にその場を立ち去ってしまう。本が好きなのかいつも小脇に本を抱え、佇んでいた姿がぼんやりとした印象のまま榎木津の脳裏を掠め、消えていった。

自殺、か――

彼をして死に至らしめるほどに悩ませたその原因を、勿論榎木津は知るわけもなく、何より『興味本位』な騒ぎに巻き込まれることを厭うて、
「いい加減にしておけよ」と周囲をじろりと見回してそう言い捨てると、そのまま校舎の方へは行かずにその裏手の方へと歩き始めた。
「榎木津、始業式が始まるぞ」慌てたような級友の声を背中で聞きながら
「サボる」と片手を上げそのまま脚を進める。指導教官が睨みを利かせている中流石に後を付いてくる勇気のあるものはおらず、榎木津は一人肩で風を切るようにして歩調を速めると、いつも昼寝をしに訪れている校舎の裏の小高い丘へと向かった。


桜はもう散り始めている。いつもであれば始業式の頃に満開を向かえるこの桜並木も緑の新芽が所々に現れて桜花爛漫、美しさの盛りは既に終わってしまっているようだった。
ちらちらと舞い落ちる桜の花びらを仰ぎながら、榎木津は彼が勝手に「定席」にしている丘の上へと腰を下ろす。時間を告げる鐘の音が見下ろす校舎の方から響いてきた。その音を何とはなしに聞きながら、榎木津はまた自殺をしたという松藤のことを考えはじめた。

『松藤は榎木津のファンだからな』
自然と己の周囲に出来た「お取巻き」連中が、いつだったかそう彼の姿を指差し笑ったことがあった。
皇族でもあるまいし、『ご学友』など自分にはいらぬ、と榎木津は彼を慕って集う者たちを酷く邪険に扱ってはいたが、払っても払ってもそういう輩(やから)は榎木津の周りにそれこそ蟻のようにたかってきた。蟻を振り払うのも億劫と最近では最早捨て置いているが、そうすると彼らは「榎木津の友人」という妙な選民意識をかさにきて、そこに入れぬものをそうして愚弄するのである。
『くだらない』
そのとき榎木津は思わずそう言い捨てたのだったが、それは自分のファンだという松藤に対してではなく、そんなことで彼を笑いものにしようとした取巻き連中に対して言った言葉であった。
にもかかわらず、榎木津のその反応に彼らはいちようにどっと沸き、本当に辛気臭い男だよ、と松藤を愚弄し続けたのだった。あまりのくだらなさに榎木津はとっととその場を立ち去ったのだったが、あの会話はもしや、あのとき頬を染めながら足早に立ち去った松藤の耳に入っていたやもしれない。

ファン―――ここ一高に入学したときから、榎木津はよくその手の『手紙』を貰った。新入生の頃は先輩から、やがて同輩、後輩からも、やたらと思いつめたような手紙をもらったり、告白をされることになるのだが、榎木津の「人となり」が次第に周囲に知れるようになると、流石に面と向かって彼に告白する勇気のある者はいなくなった。そのかわり、それこそ松藤のように物影から自分を熱くみつめる視線はより濃厚に、時には息苦しいほどに榎津の身体に纏わりつくようになっっていった。
彼らは一体自分に何を求めているのか―――榎木津とてそれほど初心(うぶ)ではない。肉体的な繋がりか、とも考えたが、どうもそればかりではないらしい。それがまた彼の理解を超えていて、およそ情緒とはかけ離れたところにいると言われる己の性格ゆえ仕方がないか、ととうの昔に考えることを放棄してしまってすらいた、その矢先の彼の自殺であった。

彼は―――自分に一体何を求めていたというのだろうか――

ちらちらと舞い落ちる桜の花びらをもっと眺めようと榎木津がごろりと横になったそのとき

「やっぱりここか」
低くよく響く声が頭の上から降って来て、榎木津は声のする方を顎を上げて見やった。そして桜の下、細すぎるほどのそのシルエットをみとめると
「初日からサボるとは流石は優等生」
と、おちょくるような口調でそう言って、肘をついて半身を起こす。
「あんたに言われたくはないやね」そう答えながら彼の傍らまで歩み寄り、その場に腰を下ろしたのは、一級下の中禅寺だった。
榎木津を、『情緒からかけはなれたところにいる』と称したのは彼だった。そういう彼自身、榎木津から見れば相当の朴念仁に見えるのだが、そう言ってやると僕はそれを自覚しているからいいのさ、などと逆に言い返されるという、校内で唯一榎木津を崇拝していないといってもいい下級生である。
「……で?」榎木津は起こした身体をまた横たえ、仰向けになって桜の木を見上げる。
「桜ももう終わりだな。今年は早かった…」中禅寺もつられたように桜を見上げたが、榎木津が、無言で彼の顔へと視線を戻すと、
「……聞いていると思うが…」と言いかけ、言葉を選ぶように一瞬黙った。
「松藤の自殺?」
榎木津がなんでもないことのようにそう言葉を継いでやると
「……流石に耳が早いな」と中禅寺は嫌味ではないよ、と言い足して、榎木津の顔を見返した。
「……で?」
榎木津はそんな彼に一瞥を投げかけたあとまた自分の上に散ってくる桜の花びらへと視線を戻す。
「関口君がね……松藤先輩から本を預かったというんだ」
思いもかけない名前が中禅寺の口唇から零れたことに驚いて、榎木津は無言のまま半身を起こし、正面から彼の顔を見据えた。
「……で?」
「関口君が言うには―――これは僕の方が詳しいくらいなのだが、入学してから初めて、松藤先輩に話し掛けられたらしい。それが昨日だ。」彼は昨日から寮へと戻ってきたらしい、と中禅寺は言葉を続けた。
「お前は?」
「今朝だ。先に寮の部屋へと行ってみたら、関口君が真っ青な顔をして寝台に座っていたんだ」
榎木津はそういう中禅寺の頭の後ろあたりをじっと見た。中禅寺はその視線に気づいて、あからさまに嫌な顔をしてみせたが、敢えて何も言わず、榎木津の見るがままに任せていた。彼の記憶を通して、関口のうなだれた姿が榎木津の目の前に浮かんでくる。泣き出しそうな、わけがわからないといったような、呆然としたその顔―――
「話を聞いてみたら、昨日これを――」中禅寺はそこで手にしていた茶色の背表紙の分厚い本を榎木津に向かって差し出した。
「昨日、寮の部屋に松藤先輩が訪ねて来て、これを君にやる、と言ったらしい。『やる』もなにも、これは図書館の本だが…」榎木津はそう言う中禅寺の手からその本を受け取ると、ぱらぱらと頁を捲ってみた。
「ヘッセ?」ドイツ語の原書だった。頁を捲っているうちに、はらりと本の間から掌ほどの大きさ紙片が舞い落ちる。なに、というようにそれを拾い上げながら中禅寺を見返すと、読んでみろ、と彼は無言のままに目でそう促した。榎木津は促されるままにその紙片の文字を声を上げて読み始めた。



『君の言葉は僕には聞こえない

 君の嘆きは僕にはわからない

 君を抱き締める腕を僕は持たない

 それでも

 常に僕は君の姿を求めて目を見開き

 君の声を聞こうと耳を欹て

 君に触れようとこの腕を伸ばそうとし


 虚ろな君の瞳に僕が映らぬことに絶望し

 こうしてまたこの小高い丘に立つ


 愛しき君へ』


「…………」読み終わると榎木津は無言で中禅寺の顔を見やった。中禅寺は器用に片方の眉だけ上げると、どう思う、というように小首を傾げて彼を見返す。
「自殺?」榎木津は自分の声をまるで他人のそれのように聞いた。
「……例え自殺だとしても、少なくともあんたのせいじゃない」中禅寺は真っ直ぐにそんな榎木津の目をみつめたまま、いつも通り、冷静な声でそう答えた。


『松藤は榎木津のファンだからな』

どっと沸いた周囲の笑い声。頬を染めて走り去る彼の後姿―――


「何故そう断言できる?」
榎木津はひとつの嘘も見逃すまいというように、きつく中禅寺の目を見据えたまま呟くような声でそう尋ねた。
「彼は今日、放校になる処だった。昨夜本人に通達され、今朝には掲示板に張り出される筈だったんだ」
中禅寺は榎木津の視線を受け止めたまま、ゆっくりと噛んで含むような口調でそう答えた。
「放校?」
榎木津の頭にまたあの印象の薄い松藤の顔が浮かんだ。放校になるような所業をするようには到底見えない、あのおどおどとした大人しい彼の表情―――
「通達の張り紙を毛筆で書くのはいつも僕の役目だから今朝登校した途端に学長に呼ばれたんだが、そのとき同時に彼の自殺の知らせが学長室に入ったんだ」
学長は顔色を変えると、この処分のことは他言無用だ、と中禅寺にきつく口止めしたという。中禅寺は頷きながらも、その理由を何気に彼に問うてみた。学長は渋い顔をしながら、彼の口を封じるために、一言だけ答えてくれたのだという。
「……で?どうして彼は放校になるところだったと…?」
思わず息を詰めるようにしてそう尋ねる榎木津に向かって、中禅寺は初めて躊躇するような表情を見せた後、やがて意を決したようにその目を伏せて答えた。
「場末の待合宿で……客をとっていたらしい。一昨日警察に摘発されて学校に連絡が入った。学長以下、この話が外へ漏れぬよう一日がかりで奔走し、そして今日の処分になったというんだが――」
「まさか……」
それこそ思いもかけない中禅寺の言葉を、とても信じられずに榎木津は呆然とまだ手の中にあった、松藤が書いたらしいその紙片へと視線を戻した。


 『絶望しこうしてまたこの小高い丘に立つ――』


「まさか……」
そのとき一陣の風が二人の間を吹き抜けてゆき、ばさばさと音を立てるようにして大量の桜の花を散らせていった。
乱れ舞う桜の花びらの向こう、中禅寺が痛ましげな顔をして榎木津を眺め、無言で片手を差し出してきた。その視線を追い、自分がかの紙片をくしゃくしゃになるほどに握り締めていることにはじめて気付いた榎木津は、やはり無言で手を開き、震える手でそれを中禅寺に向かって差し出す。
「とにかく部屋に来てくれ……関口君の様子がおかしい」
その紙を受け取りながら、中禅寺はまた榎木津を驚かせるような言葉を発した。
「え?」思わず榎木津は大きくその目を見開く。そんな彼から視線を逸らすようにしながら、
「あんたが来れば、多分少しは落ち着くだろう…」と中禅寺は低い声でそう続け、再び彼へと視線を戻すと、さあ、と言うように榎木津を目で促した。
榎木津は無言のまま頷くと勢いよく立ち上がり、関口の待つ寮の部屋へと向かって先に立って歩きはじめた。

<続く>



       
Novelsに戻る                   Uへ