愛しき光(moonlight)







喉の渇きを覚えて、ぼんやりした頭のまま寝台から降り、その辺に脱ぎ捨てた寝巻きの下を身につけると事務所を通り抜けてキッチンへと向かった。蛇口を開き、水を出しっ放しにして冷たくなるのを待ったあと、それこそ口をつけるようにしてごくごくと音を立てて飲んだ。次第に意識が冴えてきて、僕は今まで傍らで寝ていた彼もさぞ喉が渇いているだろうとその汗ばんだ背中を思った。最後は彼がそれこそ悲鳴をあげるまでその身体を貪り、互いに疲れ果てて眠りについたところだった。殆ど失われた意識のその中で彼が僕の名を呼び、僕の背にその細い腕を回してくることに、押さえられない嗜虐の歓びに似た想いがこの胸に芽生えるそのことに、僕は可也前から気付いていた。
彼を抱くとき、大切に大切に、それこそ壊さぬように掌中の珠を慈しむように接したいのに、何故かそこまで大切にしてきた彼をある瞬間に急に壊したくなる。この手で引き裂き、苦痛の悲鳴を、滲む涙を見たくもなる。

自分の中にそんな残酷な顔が潜んでいることに、彼に会うまでは気付かなかった。
いや――自分の中に、これほどまでに一人の人間を慈しむ気持ちが潜んでいることにも、彼に出会うまでは気付くことはなかった。

慈しみと加虐の心は表裏一体なのかもしれない。愛しい思いが募れば募るほど、自分一人のものとして囲い込みたくなる。その笑顔が、否、その視線のひと投げすら、自分以外の人間に向けられることにこの胸は酷く痛む。繋ぎとめたくて、誰にも渡したくなくて、彼の目を塞ぎ、その手を捕らえ――この身体の下へと組敷きたくなる欲望を抑えられなくなる。

自分がこんなに独占欲の強い男だとは思わなかった。

酷く彼を抱いたあとに押し寄せる後悔は、思う以上に僕の心を苛んだ。僕の瞳に謝罪の色を見るのだろうか、彼はいつも痛みに顔を歪ませるようにしながらも微笑むと、僕からの口吻を強請った。

気にしていないから――彼の目がそう僕に囁く。

そこに愛を見るのは、僕の独り善がりなのかもしれないけれども――


ぽたん、と蛇口から水が落ちたその音に、僕はふと我に返る。
彼が――寝台の中で彼が待っている。水差しに水を汲み、コップを二つ携えて部屋へと戻ることにした。
通過する事務所の窓から大きな月が見えることに気付いて、僕は暫し脚を止めた。

月明りに照らされた彼の白い身体が快楽の波に呑まれて行くその様を、月明りの下、不自然に捩られたその背中を、精を吐き出した後に火照るその汗ばんだ肌を、僕は瞬時思いやり、恍惚として大きな月を見つめ続ける。

月は狂気を運んでくるというけれど――

自分を狂気に陥らせる彼、そしてその狂気から僕を救い上げてくれる彼――

彼の瞳が僕を映し、愛しげに細められるその輝きが、僕を狂気の淵から現実の岸へと救い上げてくれている。
そしてこの光りを守りたいと――誰より愛しい彼をこの手で守りたいと改めて思うのだ。

その光りを深淵たる闇へと葬り去ろうとしているのは他ならない僕自身であるというのに
――


慈しみと加虐の心は表裏一体なのかもしれない。


月に一筋の雲がかかる。
想像の中の彼の裸体もその瞬間、僕の中で霞んで消えていった。

静かにドアを開けて寝室へと戻る。枕もとの台に音をたてないように気を付けながら水差しを置くと、僕はそっと彼の眠る寝台へとこの身を滑りこませた。

「……ん…」気配に目覚めかけたのか、愛しい彼が寝返りをうつ。
「…起きたのか…」囁きかけたが、聞こえてきたのは安心しきったような規則正しい寝息の音だった。
カアテンの隙間から漏れ入る月明りにその安らかな寝顔が照らし出される。目を閉じているからか普段よりは何処か幼くさえ見えるその顔を、僕はこの世の全ての災厄から守りきろうとでもするかのように、そっと優しくこの胸に抱き締めた。

そしてこの手を月にかざす。

彼を滅ぼすのは災厄などではなく、己のこの手かもしれないという暗澹たる思いを抱きながら――


慈しみと加虐の心は表裏一体なのかもしれない。
それを愛と見るのは僕の独り善がりなのかもしれないけれど――




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