後日談




そうそう、面白い話があるんだ、と実家に戻っていた榎木津が、既に新緑も目に眩しい校舎を見下ろす小高い丘に座りながら、同じように授業をサボってそこで本を開いていた中禅寺に向かって悪戯っぽく笑ったのは、五月の初めのある日のこと。
「どうせ下らんことだろう」にべもなくそう言い捨てる中禅寺の様子など知ったことではないというように、榎木津は、幼馴染に修ちゃんっていう乱暴者がいるんだが、と話を続けた。
「ああ?」その『修ちゃん』の名は、何度か榎木津の口に上ったことがあったから、思わず中禅寺は興味を覚えてそう顔を上げると、
「なんとお前とあの赤坂の連れ込みにいったときに、遠くから僕達の姿を見かけたといってきたんだ」と榎木津はにやりと笑って中禅寺の顔を覗き込んできた。
「……」中禅寺の脳裏に自分の情けない『変装姿』が甦る。一気に不機嫌になり視線をそらす彼を追い討ちをかけるように榎木津は
「あのとき、僕と一緒にいたご夫人に一目惚れをしたから、紹介して欲しいというのだ」
と意地悪い顔をして笑う。
「……嘘だろう」また自分をからかおうとでもいうのだろうとぶすりとそう答える中禅寺に
「本当だとも。あれ以来赤坂なんぞには行ってないから、修ちゃんの懸想の相手はお前ってことだ。」もしかしたら初恋の相手かもしれないぞ、とにやにやしながら榎木津は続ける。
「悪趣味だ」怒りを隠さずそう中禅寺が睨みつけると
「ほんと、修ちゃんの趣味はわからない」と真面目な顔をして榎木津は答え、
「わからないといえば、馬鹿親父がお前にどうしても会いたいとごねるので煩くて仕方がない。一度一緒に家に来てくれよ」とまで言い出す始末で、中禅寺は大分よくなってきた脚で勢いよく立ち上がると
「悪趣味なのはあんた、わからないのもあんた、もう一切僕には話し掛けるなよ?」と言い捨て、それでもまだにやついている榎木津に背を向けると、足早にその場を立ち去ろうとした。
「そんなに怒ると怪我の治りが遅くなるぞ」彼の怒りなど全く意に介さず、といった感で榎木津はそんな中禅寺の背中へと呑気に声なぞかけてくる。

まさかその「修ちゃん」と長じてから親交が生まれるようになろうとは――そのときの中禅寺は勿論、知る由もなかった。そして長じて後、その木場も、まさか自分の初恋の―――初恋であったのだ―――相手が、町内中が死に絶えたような仏頂面のこの古書肆であったという事実には、ついに気付くことはなかったという。


<終>


Novels