咎
(TOGA)
「どうしてそんな顔をしてるんだ?」
不意に榎木津が僕の顔を覗きこみ、それこそ不満そうな顔そのままに口を尖らせてそう尋ねて来た。
「え?」僕は昔からこの手の不意打ちには弱い。しどろもどろになる言葉と、かあっと頭に血が昇る様は、それでも榎木津の機嫌を少しは癒したようで
「ほんとにセキはサルに似ているな」とぽんぽんと僕の頭を軽く叩くと、まあいいか、と僕の身体を離すとごろりと横になった。
雪絵が留守だと電話すると、まさに「風のような」スピードで榎木津はうちへとやって来た。真昼間だというのに障子を締切り、書斎とは名ばかりの奥の座敷で時間を惜しむかのように二人身体を重ねた。何度目かの絶頂を迎えたあと、彼の胸の上に崩れ落ちるようにして身体を落とし、少しばかりの眠りについた、丁度そんなときだった。
「ねえ」
僕は、背を向けてしまった榎木津に向かってそう声をかける。
「ん?」
背中を向けたまま、起き上がりもせずに榎木津がそう答えてきた。
「どういう意味だい?」
彼の背中の真中を下からすうっと撫上げるようにしながらそう尋ねたが、くすぐったくもないのか榎木津は
「なんでもないよ」と身体を捩るようにすると、さあ、寝るか、と己の身体を抱くような素振りをしてみせた。
「こんなところで寝ちゃ風邪をひくよ」
そう言っても、榎木津の背中は最早動かない。僕は小さく溜息をつくと、その辺に散らばっていた衣服を身に着け、彼の為に掛布団をとってきてやるために立ちあがった。
『どうしてそんな顔をしているんだ』
彼は確かにそう言ったと思う。僕はどんな顔をしていたというのだろう。それまでの行為に疲れ果て、苦しげに眉を寄せていたとでも?それとも逆にうっとりと彼の胸にこの身体を預けきっていた?だらしなく口をあけて眠りこけていたのかもしれない。
何にしろ―――彼の問いかけの答えを多分僕は自分では持ち得ないような気がする。
寝室からいつも使っている上掛けを持って帰って来た部屋の中では、榎木津が相変わらず僕のほうへと背を向けたまま、己の肩を抱くようにして眠っていた。
「榎さん」
為念呼びかけてみたが、予想通り答えは帰ってこなかった。僕が疲れ果てた以上に、彼は肉体を酷使したからな、と下品なことを考えつつ、そっと彼に覆い被さるようにして手にした上掛けを掛けてやる。
そのとき覗きこんだ彼の顔を見て―――僕は思わず彼の肩を揺すっていた。
「榎さん」
うん、と榎木津が小さく寝返りを打つ。が、彼が目覚める気配はない。
「どうしてそんな顔をしてるんだい?」
無意識に同じ問いを、僕は彼に向かって発していた。
見慣れたはずの彼の寝顔―――彼はいつからこんな顔をして眠るようになったのだろうか。
何がどう違うということは言葉では表現出来なかった。が、拭い去れない違和感が彼の顔に張り付いていた。
僕も―――こんな顔をして眠っていたのだろうか。思わずその肩を揺さぶり起こして確めたいほどの焦燥感―――
「榎さん…」
目を開けばいつもの彼の表情が現れるのだろう。
『まあいいか』
彼が呟いた言葉が今更のように甦る。別に気分を害したわけではなく、驚愕し―――そして安堵して彼は再び眠りについたのではないだろうか。
会えば愛しさが募って、やみくもに身体を会わせるのが常だった。
なかなか二人きりになれないもどかしさに、服を脱ぐ間も惜しんで二人抱き合い、互いの欲望を満たそうとした。
裸の胸と胸をあわせている間は、何ともいえない充足感がこの身体を満たした。
彼はどうかはわからないが、僕自身は欲望を昇華させる行為そのものよりも、ただ黙って抱き合っている時間の方がよっぽど好きかもしれなかった。
彼の胸の鼓動を自分の胸に、時にはこの耳に聞くことが何より僕にとっては至福のときだった。規則正しい鼓動、規則正しい呼吸の音に、見上げたときの彼の端正な寝顔を見るのが好きだった。
僕の知っている彼の寝顔は―――決してこんな風ではなかった―――ように思う。
「榎さん」
僕は思わず強く彼の肩を揺すっていた。うん、と榎木津は低くうめくと
「どうした?」とその鳶色の美しい瞳を薄らと開いてくれた。
ああ―――いつもの彼の顔、だ―――
「………どうして……」
僕はまた同じ問いを発しようとして、言葉に出来ずに彼の背中に顔を埋めた。
「セキ?」
戸惑うような榎木津の声。ゆっくりと彼は寝返りをうつと、僕の身体をその胸の上に抱き込んだ。
「どうした?」そしてこの耳に囁く。あまりにも優しいその言葉の響き―――
「………どうして…」そんな顔をしているんだい、と僕は心の中でそう呟いた。榎木津は僕が掛けた上掛けを背中に引いてしまったことに気付くと
「折角セキが持ってきてくれたからな」と笑ってそれを引張りだし、僕を抱いたままそれに包まろうとした。
暖かな―――暖かな榎木津の胸。規則正しいその鼓動―――
今、見上げればいつもの彼の顔があるのだろうと思いながらも、僕は目を開く勇気を持てず、そのまま彼の胸に顔を埋めるようにして近く近く彼の胸に身体を寄せた。
我々の顔をいつのまにか変えていたのは、一体何に所以するものなのか。
世間を―――妻を、友人を、謀り続けた報いか
知らぬ間に積み重なっていった罪悪感が、無意識の―――睡眠中のこの表情を変えたのか
馬鹿馬鹿しい、と僕は浮かび来るそんな考えから必死で目を逸らすと、いつものように彼の規則正しい鼓動を、その呼吸音を身体全体で享受しようと試みた。
「セキ……」榎木津の優しい声が耳元で響く。
もし、今僕が顔を上げ、彼の顔を見やったときに、その表情が僕の見知らぬものだったとしたら――
「セキ…」
僕はどうしても顔を上げることが出来ず、無言で彼の胸にまたしがみついた。響いてくる鼓動すらいつもと違うものに感じてしまっていたのだけれど、そんなことはないと必死で己に言い聞かせ、口吻を強請るように目を閉じたまま顔を上げ、彼の口唇が落されるのを待った。
逃れ得ぬ罪―――彼との行為を重ねる限り囚われ続ける、この罪の意識に押しつぶされそうになりながらも、僕はただひたすらに彼の口唇を求め続けた。
<終>