帝王学



その姿を一目見たときから、同じ人間とは思えなかった。
大勢の取り巻きを従えて――といっても本人はうざったそうであったけれども――目の前をその長身の彼が通りすぎたとき、僕は思わず茫然とその姿にただただ見惚れてしまっていた。
「口が開いているよ」隣にいた友人が、ぶすっとそう僕に囁くまで、僕はぼんやりとその後姿を眺めていた。


あまりにも整いすぎたその容貌
均整のとれたその肢体
外見だけではない。そのバックグラウンドといい知性溢れる中身といい――やはり彼には皆が言うように「帝王」の名が誰より相応しい。


この世に「選ばれた人間」という種の人間がいるのだとしたら、彼はまさにその人種であろう。
友人の中禅寺も或る意味「選ばれた」人種ではあるのだけれど、それとは違う、もっと絶対的な神の選択を彼には感じる。


榎木津礼二郎


初めてその名を聞いたときに、真っ先に僕の頭に浮かんだのは「ああ、次男なんだな」という間の抜けたことであったのだけれど、その姿を実際目の前にしたときには、僕の頭には、言葉すら浮かんでこなかった。


ただただ――彼に見惚れていた。


それから僕は、彼の姿を眼で追うようになっていた。どこにいても榎木津は目立った。大勢の中にいるときも――大抵の場合、榎木津の周囲には人が溢れていたのだけれど――一一人でいるときであっても、榎木津は全く同じように傍若無人に振舞っていた。
榎木津には、周りの人間など何の意味も為さないのかもしれない。それはそれで何というか――寂しいことではないだろうか、と僕は訳もなくそんなことを思った。


孤高の帝王


榎木津の破天荒なくらいの明るさに、こんな感慨を持つ自分もどうかと思ったが、どうしても僕は彼の瞳に孤独の影を見てしまうのだった。
その理由は、自分でもまるでわからなかったし、知り得る機会すら多分一生ありえないと思っていたのだけれど。


だが、「その日」は突然に来た。


「君はサルに似ているね」


全く知らなかったことだけれど、中禅寺はこの帝王と面識があったらしい。彼と二人連れ立って歩いているときに、突然榎木津が目の前に現れ、中禅寺と言葉を交わした後に僕を見て言った言葉が


「君はサルに似ているね」


あまりにも突然の出来事に、僕はまたぽかんと口を開いたまま、ただただこの麗人を見つめ返していたらしい。
「関口君、口が開いているよ」前と同じように中禅寺が僕の肘を軽く突ついて注意した。
榎木津がそんな僕等を見てふわりと笑った。
近くで見る榎木津はあまりにも美しくて、僕はまたもや彼に見惚れた。
その瞳には、今まで僕が勝手に感じていた孤独の影などなかった。何というか――慈しみの色さえ感じられた。
榎木津と中禅寺は何か議論を戦わせているらしい。が、榎木津はすぐに飽きてしまったのか「そんな小難しいことばかり考えていると禿げるぞ」と笑って中禅寺の頭をくしゃくしゃと掻き回し、僕に向かって
「それじゃあ、又会おう、サル君」と手を振るとその場から立ち去っていった。
僕がまた、挨拶も出来ずにただ頭を下げていると、中禅寺は乱れた髪を手櫛で整えながら
「榎さんは、君を気に入ったね」と相変わらず不機嫌そうな口調でそう言った。
「気に入った?」意外な彼の言葉に、僕がそうおうむ返すと、中禅寺は頷いて
「あんな風に人を見ることは、彼は滅多にないよ」と言うと、行こうか、と僕を促がした。

歩きながら、僕は榎木津について思っていたことを中禅寺に話した。
孤高の王、と言うと中禅寺は「そんなにいいものじゃないさ」と笑ったが、しみじみと、といった感で僕を見ると
「君は――わからないな」と言った。
「何がだい?」僕の方が、彼が何を言っているのかがわからなかった。
「……鈍いのかと思うと妙に鋭い。榎さんの孤独を見抜くなんて……きっと常に一緒にいる者の中にもいないだろうね」と中禅寺は言うと、それだけ君が彼を見ていたってことかな、と付け足すようにそう呟いて、結局その話しはここで終わりになった。


やはり彼は孤高の王なのか


僕は、彼の孤独が一体何に起因しているのかも知りたかったが、中禅寺はそれを敢えて僕には語りたくないが為に話しをやめたのかもしれなかった。
初めて近くで見た、榎木津の微笑が僕の頭に甦った。


その孤独を癒してあげることが出来るのであれば――


何故かそんな突拍子もない言葉が、僕の心に浮かんだ。あまりにも遠い、畏れ多いくらいに遠い彼の存在。今日初めて言葉を交わした、というか一方的に声をかけられただけである自分。そんな自分を取り巻く現実からは遥かにかけ離れたその想い。


きっと僕は、この瞬間に彼に恋におちていたのだろう。


勿論、それを自覚するのはずっと後になってから――何が気に入ったのか、彼が僕を構い始め、中禅寺と共に何故か常に行動を共にするようになってからのことだったのだけれど。
僕等と共にいるときの彼の瞳に孤独の影が見えないことが、当時の僕にとっては何にも替え難い喜びだった。


今でも僕は、榎木津の瞳を時折うかがってしまうことがある。

<終>