『線香花火』
線香花火の最後が嫌いだ
関口がぽつん、とそう呟いたのは、人目がないのをいいことに縁先で口唇を重ねた後だった。
唐突な彼のその言葉に僕は少し驚き――やがて彼の視線の先を捕らえて、ああ、と納得する。
昨夜、榎木津がいきなり花火を手に訪ねて来た。隅田川の花火を見損なった、京極の家で花火をやろうと言うのである。
思いの外千鶴子が喜んだのに気を良くして、榎木津は随分遅くまで買ってきた子供だましの花火に興じて帰っていった。その残骸が――バケツに水を貯めた中に残っているのが目に入ったのだろう。
「昨日、榎さんが来たのさ」関口の髪を撫でながら、僕は何の答えにもなっていない言葉を彼の耳に囁く。関口は聞いているのかいないのか、もう一度
「線香花火の…終わりは嫌いだ」と僕の胸に顔を埋めながら同じ言葉を口にした。
理由を聞け、ということかな。
僕はぼんやりとそんなことを考えながら、彼の髪を撫で続ける。彼の言わんとしていることは何となくわかっていた。
ちりちりと火花を散らす線香花火――最後は火花がだんだんと小さくなり、やがて中心のその玉が地に落ちる。
儚い――
その様は人の命のように儚くて――この世知辛い世の中を生きていかざるを得ない関口を、とてつもなく不安にさせるのだろう。
わかっていながら、僕は彼の耳に囁く。
「どうして…」
そして用意された理由を待つ。
関口は、暫く何も言わず僕に髪を撫でられるままにその身体を預けていた。彼は今、何を考えているのだろう――急に腕の中の彼がその体積を、その重さを、その実像の全てを失っていくような錯覚に陥りそうになる。
馬鹿な――
僕はこみ上げる焦燥を押し殺そうと、益々強く彼の身体を抱き締め、彼の視線の先を睨みつけた。花火の残骸――汲まれたままのバケツの水――そこには何一つ彼が見つめ続ける理由のあるものなど見出すことが出来なくて――
「どうして…」僕はもう一度、関口の耳に少し強い口調でそう囁いた。関口の身体がびくり、と震える。
「どうして…?」関口の目線は庭から戻ることがない。彼は一体何を見つめているというのだろう。
「どうして線香花火が嫌いなんだい?」何故か苛つく気持ちを抑えきれず、僕は彼を抱き締める腕に力を込めた。
『儚いから』彼のその言葉を期待して――
「榎さんが来たんだ」
予想を反して、関口の口から漏れたのはそんな一言だった。
「来たよ」拍子抜けしてしまったような気持ちを押し隠し、僕は何でもないことのようにそう答える。
「ふうん」関口はそう言うと、不意にその顔を上げ、珍しく僕に口吻を強請った。
大切に大切に、その玉を落とさぬように――
どんなに慈しんでいても、不意に風が吹いて火花を散らすより前にぽたんと落ちてしまう線香花火――
「僕も嫌いさ」口唇を離したあと、恍惚とした表情をしている関口に向かって僕はそう囁いた。
「……」関口はその瞳に視力を取り戻し、それでも尚ぼんやりと僕を見つめる。
大切に大切に――慈しみ――
それでもこの手の中から失われてゆくその灯火――
「線香花火がね」
呟きながら、僕の脳裏に昨日ぽたりと落ちた、線香花火の火が過った。
<終>