真夏の故意

最初から、多分わかっていたことだった。
限りなく、君の気持ちは同情に近いと。
もっとはやく…ほんとうならもっとはやくに
問い掛ける勇気を出せばよかったのだろう。
まなざしの中にほんの少しまざっていた
泣き出しそうにも見えるあの蒼い光に
救われたいと願うような
君のあのまなざしの意味を…




口吻の最中に、関口は何気にふと目を開いた、と、じっと自分を見下ろす榎木津の視線と視線がぶつかり、思わず体を引いてしまった。
どうした、というように榎木津が関口の背に廻した手に力を込めて再び引き寄せようとする。
「え、榎さん…」抗うように関口は身を捩って、榎木津を見上げた。
「なんだ?」
美しい眉を寄せて榎木津が応える。
「…いつも、目を開けてるのかい?」
「?」
何の事を言っているのか、というように榎木津が関口の顔を覗き込む。
「だから…」接吻の時に、と関口は消え入るような小さな声で言うと、榎木津の胸を拳でこつん、と叩いた。
「関の顔を見ていたい…いけないか?」悪びれることなく榎木津はそう言うと、再び口吻けを求めた。
「や…ちょっ…」関口は強い力で榎木津を押し返した。
「なんだ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」関口は真っ赤な顔で−まさに「頭に血が上っている」形相で、榎木津を睨んだ。
「どうした?関?」あまりの剣幕に榎木津が少し引く。
「ふつう、眼は…閉じるもんだろう?」
「そうなのか?」榎木津は、ちょっと空を睨んで考えるような素振りをした。が、
「僕は関の顔を見ていたいんだから、別にいいじゃあないか」と笑いを含んだ声で、関口の両頬を優しく手で包み込む。
「ぼ、僕は嫌だ!」関口はそんな榎木津の手を振り払うかのように激しく首を振った。
「…一体、どうしたんだ?」いつもと違う様子に、榎木津が一歩下がって関口を見つめる。鳶色の瞳に吸い込まれそうになりながら、関口はその魅力に必死に抵抗した。
「嫌なんだ!」
「どうして?」榎木津の鳶色の瞳がますます関口を魅了する。
「ずるいじゃないか…」何がずるいのか自分でもわからずに関口は消え入りそうな声でつぶやき、榎木津から目を逸らせた。
「いつも関の顔を見ていたいんだ。」榎木津がもう一度そう繰り返した。瞳が少し陰ったような気がして、関口は改めて彼の顔を見上げた。
「…そんなに鑑賞に耐えられるような顔じゃないよ?」わざとふざけたような、突放したようなことを言ってしまったのは、榎木津の様子がどこかいつもと違っていたからだった為かー。関口のその言葉に、逆に榎木津はひどく傷付いたような顔をして、関口から離れた。
居心地の悪い沈黙。
最初に口を開いたのは、榎木津であった。
「初めて抱いてしまった日から、ずっと…」榎木津はふっと関口から視線を外した。鳶色の眼が逸れると、急に何故か肌寒いような、妙な喪失感が関口を襲った。
榎木津は何も言わない。関口はただただ彼の次の言葉を待った。
随分と時間が過ぎてから、漸く榎木津は、−小さく溜め息をついて−関口の方を見た。関口も彼を見上げる。
「関が悲しい顔をしていないか…気になって仕方がない」
「どうして僕が…」悲しい顔をすると思うんだい?と心底驚いて関口は榎木津の腕を掴んだ。榎木津は動かない。関口はじれて、自ら榎木津に一歩近づいた。
「関は…何故、ここにいる?」いつもと全然違う、押し殺したような榎木津の声。
悲痛とも言えるような響きに、関口はどうにもならない心細さを感じて、更に一歩、榎木津に近づく。殆ど抱擁するのと同じ位の位置にいるのに、それでも榎木津はただ黙って関口を見下ろしていた。関口はそんな榎木津から目を逸らすのが怖かったが、たまらず彼の胸に体を預けた。榎木津の鼓動が近くで聞こえる。その音を聞いて、少しだけ関口は落ちつくことが出来た。
「そんなの、ここにいたいからに決まってるじゃあないか」勇気を出して、榎木津を再び見上げる。榎木津はそんな彼に向かってふっと微笑んだ。
あまりにも儚い笑顔。そんな顔を見るのは初めてだった。関口は思わず榎木津にしがみついた。
「どうしたんだい?一体、何を考えているんだい?」
「…関が悲しい顔をしていたら…関が少しでも無理をしていたら…それが心配で…抱きしめながらもそれがとても気になって…」榎木津はここでまた儚く笑った。
「顔を見ているだけでは心までは見えないのにな…」
「馬鹿じゃないか?!」関口は思わず体を起こすと、力いっぱい榎木津の胸を拳で叩いた。
「関…」
「僕が何を我慢してるって言うんだい?どうして僕が悲しい顔なんてしなければいけないんだい?榎さんが好きで!毎日でも会いたくて!いつも2人だけでいたいのに、なかなかそれが出来ないことが、こんなに悔しくて!それを…!」
関口にしては珍しく一気にそこまでまくし立てたが、怒りの余り言葉を失ってしまって再び
「ば、馬鹿じゃないか?!」と榎木津の胸を叩いた。
「痛いな…」榎木津が美しい眉を寄せた…が、その瞳は笑っていた。そして自分の胸を叩く関口の手首を掴んだ。
「放せよ!」
関口の抵抗を容易く封じ込めると、そのまま彼を抱きしめてしまった。
「放せよ!」
「…恋なんて、一生しないと思っていた…」
一瞬抗った関口だったが、榎木津の囁きを聞いて、そのまま動きを止めた。
「関と一度離れ離れになってから…また出会えるとは思っていなかった。出会ってから、この思いが通じるとも思っていなかった…」
榎木津の声が、鼓動が、抱きしめられた関口の耳に響く。
「生まれて初めて恋をした…関と出会って…」
関口を抱く、榎木津の腕に力がこめられた。
「こんなに不安になるものだとは思わなかった…」
「榎さん…」関口も、榎木津の背に廻した手に力を込めた。
「十何年も前から思いつづけていたと言ってしまったから…関は断れなくなってしまったのかもしれない…優しさから、拒絶できなかったのかもしれない…いつもいつも、抱きしめながら関の顔を見て…少しでも翳りが見えたら、もう止めようと…『すまなかった』と言おうと思っていた…」
「榎さん…もう…」
「それでも、結局は怖くて最後には見ないように目を閉じてしまう…折角手に入れた関を失うのが怖くて、僕は…」
「榎さん。もういいよ…」
関口はきつく榎木津の背を抱きしめながら、まっすぐに彼を見上げた。
「恋をしているのは僕だ。榎さんに見つめられるだけで、自分を見失いそうになるくらい溺れてしまっているのは僕だ。貴方の気持ちがいつ離れてもおかしくないとわかっていると自分に言い聞かせながら、その日が来るのを毎日恐れ続けているのは僕だ…」
関口は再び榎木津の胸に顔を埋めた。
「馬鹿みたいだ…あなたは神なのに…」
「関…」
榎木津も関口の髪に顔を埋める。
すまなかった、と小さく榎木津は囁いた。関口は顔を上げ−生まれて初めて、自分から口吻をねだった。
榎木津が、ゆっくりと、優しく彼の口唇に自分の口唇を重ねた。
口唇が離れたとき−それは長いながい口吻の後であったが−、関口は「ちゃんと目を閉じていてくれたね」と榎木津に微笑んだ。
「見てたのか」榎木津が少し複雑な顔をして−
「あんまり気分のいいものじゃあないな」などと言うものだから、関口はつい笑ってしまった。

生まれて初めての−そして多分、最後の恋。
神をも不安に駆り立てる、身を焦がすような激しく、そして切ない恋。

そんなものに、自分が捕らわれてしまうとは思ってもいなかった。
そんなことで、幾日も眠れない夜を迎えるようになってしまうとは、本当に思いもよらなかった。

何を図ってもその通りにはどうしてもいかなくて、意図しないところから思いもかけない慶びを感じてしまうことがあって−

そんな毎日を迎えて行くためにも、不安なときはこうしてしっかり抱き合っていようと思う。

榎木津はそう伝えたかったが−伝えなくても関口もきっと同じ気持ちだろうという気もした。

今日、わかったから。
関口が口吻の時に目を閉じてほしいという理由が。

それでも時折はきっと自分はうっすらと眼を開いて、関口の顔を盗み見てしまうだろう。
でもそれは、関口の幸せそうな顔を確認するため。
自分に溺れていると言う彼の、恍惚の表情を見るためにだ。

これからの長い時を−しっかり抱き合いながら、一緒に過ごして行きたい。
そんな思いを込めて、榎木津はもう一度口吻しながら、しっかりと関口を抱きしめたのだった。


いつまでもこのまま
静かな湖面を漂っているような
切なさと儚さ
君、我と共に浮かばん
この永き夜の間(はざま)へ


<終>