Love Letter
『僕は――彼を愛している』
白い便箋に一行、意味もなくそう書いてみて、その文字を暫く見つめていた榎木津はやがて我に返ったかのように一人笑って首を振ると、くしゃくしゃとその便箋を丸めて机の下のゴミ箱へと投げ入れた。そして本来の目的を果たすべく、また便箋へとペンを落とす。
榎木津が手紙を書くことなど滅多にない。手紙どころか文字をかくこと自体が稀なのであるが、最近では電話という便利な通信手段が発達しているからそう不自由は感じない。細かい文字は榎木津の、ただでさえあまりよくない眼を疲れさせるからなのであるが、そうはいっても榎木津がその白い便箋に記して行く万年筆の青い文字は彼の容姿さながら流麗で美しい。あまり考えた素振りも見せずに数行書いたその手紙を彼は軽く読み返すと、ふうと息をふきかけるようにしてそれを乾かし四つ折りにして手許の封筒へと入れた。そして和寅を呼びつけ封もしていないその封筒を差し出すと切手を貼って投函するよう命じる。
「…珍しいこともあるもんですねえ」和寅が渡された封筒に記された宛名と榎木津の顔をかわるがわるに見ながらそう笑う。
「いいから早く出して来いっ!」中は見るなよ、と念押して榎木津は「探偵」の三角錐の乗ったデスクの前の皮張りの椅子をぐるりと回転させ、和寅に背を向けた。
わかってますよう、と言いながら和寅は事務所を駆け出して行く。榎木津は和寅が郵便局へ向かって駆けて行くその姿を、窓から暫く見下ろしていた。
一抹の後悔の念がその胸を過る。あれを読んで彼は――
一体どう思うだろう。
窓硝子に己が眉を寄せて思いを馳せる顔が映っていることに気付き、榎木津は小さく溜息をついてまた椅子を回転させ、窓に背を向けた。
自分らしくない――『後悔』と最も縁遠い処に自分を常においてきたつもりだった榎木津は、自分の胸を苛むこの感情がその「後悔」としか説明できないことに、微かな苛立ちを感じていた。
今から走って和寅を追えば、投函には間に合うだろう。そしてまた、逡巡の日々が始まるのだ。
榎木津は一瞬椅子から立ち上がりかけ、やがて思いなおしてまたそれに深く腰を下ろした。
そして目の前の便箋へとまた目を落とすと、傍らの万年筆を手に取りさらさらとその上に文字を記して行く。
愛している 愛している 愛している
決して口では告げることの出来ないその言葉。
青いインクの文字が紙面を同じ言葉で埋めて行く。自分がこんな女々しいことをするなんてと榎木津は書き続けながら自嘲気味に笑っていた。
告げたかったのは、この言葉――
ペン先が紙面にひっかかり、あっという間にインクの染みが広がった。榎木津の手が漸く止まる。
自分の書いた文字を――「愛してる」とだけ綴り続けたその文字を、否定するかのように広がるその青い染みを、榎木津は暫し無言で見つめた。やがてその染みを大きく広げているのが己が紙上に落としたままのペン先であることに気付いてまた自嘲気味に笑うと万年筆にキャップを嵌め、インクにまみれたその紙をくしゃくしゃと丸める。
これではまるで――今の自分そのものの行為ではないかと気付いたからである。
そしてまたそれをゴミ箱へと放ると、榎木津は椅子から立ちあがり、窓の外を見やった。西の空が黒い雲で覆われてきている。夕立がくるのかもしれないなと榎木津はぼんやりと思いながら自分がまだ使いに出した和寅の姿をその辺りに捜していることに気付き、軽く溜息をついた。
手紙は――京極にあてたものだった。
榎木津の父からの依頼から発展したある事件の関係者から礼状が来た。東京を離れて田舎で人生やりなおすらしいですよ、と益田がその手紙を読んでくれた。いつも通り、暴れるだけ暴れた榎木津と、町内中が死に絶えたような仏頂面の憑き物落しを目の前に茫然としていたその男の顔が彼の脳裏に珍しくも甦った。ああ、京極が彼のことを気にしていたからだとあとから気付いた。
憑き物落しは無愛想な外見に似合わず、心優しい男なのだ。そんなことは十の昔から知っている。
だから『彼』も――
「中禅寺さんに知らせてあげたらどうですか?」彼の心を見透かしたように、益田がそう言って手紙を榎木津に差し出した。
その手紙を受け取り――
何故、彼に手紙を書こうと自分は思ったのだろう。
電話をしてもよかった。いつものように用も無く彼の店をそれこそ昼寝に訪れたそのついでに告げてもよかった筈である。
何故だか机の引出しから便箋を探し出していた。表紙を開くと長い間放っていた為だろう。すこし埃の匂いがした。
ペン先を便箋へと落としながら、さて何を書いたものかと榎木津は一瞬躊躇した。何故自分がこうして彼に手紙を書こうとしているのだろうということを改めて不思議に思う。
面と向かっては決して言えないその思い――
それを伝えたかったのだと気付いたときには、榎木津のペン先は自然とその文字を綴っていた。
『僕は彼を愛している』
『彼』と京極との関係に榎木津が気付かぬわけがなかった。別に二人の頭の中を覗いたからではない。榎木津が『彼』を見つめ続けていたからに他ならない。
『彼』はその関係に傷つき壊れそうになりながらも自ら望んでその関係に捕われて行くように榎木津には見えた。
そして京極もまた――あの男が、この世の中に不思議なものなど何も無いという男が、その不条理な関係を不条理なままに慈しみ、『彼』を捕えそして捕われ、危ういばかりのバランスを辛うじて保ちながら日常を過ごしているその姿に、榎木津は憐憫とは違う何か――上手く自分でも説明できぬような、同調の念のようなものを感じていた。そして常に思うのである。
彼らの間に自分の入りこむ余地はない、と――
わかりきっていながらにして、どうして『彼』を諦めることが出来ないのだろうか
結局、京極への手紙には用件のみを記した。
あれを読んで彼は一体どう思うのだろうか。
何故これを敢えて「手紙」で伝えるのだろうと不審に思うかもしれない。
いや――
きっと彼は見抜くだろう。
榎木津が書く事が叶わなかった、そして唯一書きたかった、幻のその文字を。
『僕は彼を愛している』
京極にそれを告げて何かが変わるわけでもないというのに――
それでも告げずにはいられなかった――最後には思いとどまってしまったけれども。
『愛している』
滲むインクが消してゆくその文字――告げたくても告げることが出来ずに、ただ見守るだけの自分――
何故、自分は直接『彼』にではなく、京極へとこの想いを伝えようとしたのだろう。
『愛している』
告げられて困ったように顔を伏せる『彼』の顔のイメエジが榎木津の頭に浮かぶ。
この先も自分は『彼』を見つめ続けていくのだろう。
決して告げることのできない思いを青いインクの下に隠すように、このまま黙って彼を見守り続けてゆくのだろう。
ぽつぽつと外は雨が落ち始めていた。窓にあたる水滴を見ながら、榎木津は心の中で京極に詫びた。
抑えきれぬこの想いを吐き出す相手に選んでしまったことに――
雨はやがて本降りになってきた。和寅は傘をもって出ただろうかと思いながら、榎木津は何故か窓辺を立ち去ることが出来ず、いつまでも降りしきる雨を見つめ続けた。
<終>
ああ、仰りたいことは痛いほどにわかります(泣)
どこが切ない??
「榎さん月間」といいつつ、1年中榎さん月間のような気が
しないでもない今日この頃(笑)…
エノコレ発足記念にムリムリupしてみました(汗)
ああ、いつもながらのつまんない話でほんと…すみません(泣)