転寝をする榎木津を見下ろしながら、私はさてどうしたものか、と腕を組んで首を傾げた。
上掛けをかけてやれば、このまま榎木津は延々と日が暮れるまで寝続けるだろう。榎木津にこれといった日々の予定があるとは思えないからそれはそれでかまわないのかもしれないが、だからといってこちらには予定がないというわけではない。
日々の糧のために働きに外に出ている雪絵も間もなく戻るだろう。戻れば眠りこける榎木津を見て
「あらあら、それじゃあ晩御飯はご一緒に」
などと気を利かせてしまうに違いない。
私は――雪絵と榎木津の仲良く語り合う場に居合わせるのが――辛かった。
榎木津との関係が芽生えてから半年になる。切欠はなんだったか、とうに忘れてしまった。酒に酔った勢いか、はたまた鬱病になりかけの気の迷いか――なんでもこの榎木津は、学生時分より私のことが好きだったのだという。
「うそだ」
と言ったら頭に瘤が出来るほどに殴られた。
『君はサルに似ているね』
が愛の告白と聞いて、信じる者がいるとするなら是非ともお目にかかってみたいものである。
それでも榎木津は、
「僕はお前が好きだったのだ。だから抱く。何か文句があるか」
と言いながら、文字通りに私の身体を抱いた。彼の色白の胸に抱き寄せられた自分の黄色い肌の醜さに私が躊躇する間に、彼は易々と私をものにし、それだけでなく私に抱かれることによって得られる快楽を教え込んだ。
全ては――私を現世につなぎとめるため、だったのかもしれないが――
そんなことを考えられるようになったのは最近のことだ。あの当時、私は生きていくのを辛いとしか感じていなかった。溺れるように酒を飲み、酒でなければ本を読み、書けないといっては雪絵にあたり、ぶらぶらと中野の古書肆を訪れては座敷でくだをまき――最低の生活をしていた、と自分でも思う。
そんな私を見るに見かねて、榎木津は手を差し伸べてくれたのかもしれない――いや、きっとそうなのだろう。
榎木津の腕は優しい。
きっと誰に対しても、彼の腕は優しいのだろう。私を現世につなぎとめるその手は、きっと他の誰かも救っているに違いない。
麗しい彼の瞳が映すのはきっと私の顔だけでなく―――
「榎さん」
堪らず私は彼の肩を揺すった。
「ん…」
榎木津はその端正な眉を顰め、うるさそうに寝返りをうつ。
誰かを抱き締めるようなその腕の形に、私のなかでは納めようのない嫉妬の念が渦巻いていた。
「榎さん…」
尚も揺すり続けると、榎木津は多分目覚めたのだろうが、完全にヘソを曲げてうつぶせのような形で私から顔を背けた。
救い上げてなどくれなければよかったのに――
こんなに苦しい思いをするくらいなら、あなたの腕に抱かれたくはなかったよ
ごろり、と榎木津は不意に仰向けに寝転がった。
「榎さん?」
思わず名を呼んでしまった私の声に応えるようにその両手を身体の上で広げている。
私の目に、幻の赤い薔薇の花が見えた。
彼が抱き締める、美麗なその花びら。彼の美貌に相応しい、世の花の頂点に立つ、美しさを極めた赤い薔薇の花弁が、私の目の前で散り、彼の白いシャツを覆った。
彼の腕の中の私は醜い。
東洋人にありがちな黄色い肌。毛深い腕。短い指。貧弱な胸――
「サル」
ぱちり、と不意に榎木津の目が開いた。私は驚いて呆然と彼の顔を見返すことしか出来なかった。
「おいで」
彼の腕が私に向かって開かれる。
私を現世に留め置くその腕。何より麗しいものを抱き寄せるに相応しき美しき腕――
「……」
私は動けなかった。かわりに榎木津が起き上がり、座り込む私を抱き寄せ、接吻した。
私の閉じた瞼の裏に、紅薔薇の花びらが舞い散った。
彼に相応しきその花弁―――私とは似ても似つかぬ、麗しきその花弁
「好きだ」
うそだ、と応えたかったが、また殴られるのが怖くて私は何も言えなかった。
再び私の瞼の裏で、鮮やかに紅薔薇の花びらが舞い散った。
誰より優しき―――麗しき人を飾るに相応しいその花
愛しき――そしてあまりにも切なきその幻の花弁で、今日も私は目の前の彼を飾っていた。
|